~ライズとわた史~なぜライズは必要なのか?⑭

成績アップと、大分の高校入試、大学入試、豊府中入試に強いライズのERです。

答えを簡単に教えない!

解き方の方法,ヒントを出すのが良い講師の条件です。生徒のレベルに応じて適切なヒントを教えるように心がけて下さい。答えを子どもから引き出す,という発想を持って指導してあげて下さい。

「志学ゼミナール」の正社員?となった翌年に会社名が変わり「R志学会rise」となりました。その同じ年に,羽田野は大分市内で勝負をかけることになりました。ここから,それまで1校舎だった「ライズ」の多店舗展開がはじまったのです。

その時,初めて大分市内に出した校舎が「R志学会rise南大分校」でした。開校当初は羽田野一人,でしたので,夏期講習の中3生の社会の授業を自分も担当したこともありました。また,自分の友だちや義理の弟にも入ってもらっていたこともありました。それ以外の時は「R志学会rise三重本校」で勤務をしていました。

自分で授業内容を考える,といったところからしなければならず,いまこの文を書きながら,新人の先生たちって大変だよな~と今更思います。そして,「教える」とは「答えを教えること」と思っていた自分は,生徒にヒントどころか,,問題も答えも自分が読み上げ,「覚えといてね!」で終わるような授業,だったように記憶しています。

また,時間の考え方も甘くて,10分前に出社すれば早い方だろう,とかし思ってたのですが,シッチョウは11:00には塾に来ていました。同じことをしてやろう!とその瞬間は思いましたが,実際には仕事や人に慣れない『精神的な疲労』から,起きるのが11:00。出社は30分前の13:30に校舎に到着,というのが普通になっていました。もはやかつての「志学ゼミナール」のように仕事が終わったら遊びに行くような,楽しいだけの場所ではなくなっていました。

当時新人は自分だけ。自分のためを思って厳しい話をしたり,あえてそう言った話をしてくれていたようなのですが,自分は精神的に弱く,厳しい事を言われたり,自分だけが注意される場面があると「自分だけが責められている」「自分には味方はいない」という感情を持つようになっていました。

自分はその感情を抑え,我慢してがんばってるつもりでしたが,「顔に感情」が出ていたようです。

ただ,大学生の時の自分であれば,ここで諦めていましたが,「こんな自分でも塾でどこまで続くかやってみよう!」という気持ちが当時あって,クビにされるまでは出来る限りのことをやってやろうという自分なりの覚悟がありました。

とはいえ,「思ってたのとは違う」塾になっていたことに少し落胆はしていました。

こんな感じで,誰かが自分の人生を何とかしてくれると思ってる”くれる族”の自分は自分から動いたり考えたりをやめてしまいました。だから余計生きづらくなるっていう声が聞こえてきそうですが,自分をガラッと変えられたらこれほどいいことはない,ですよ。

でもね,このあと自分の人生は完全に変わってしまうんです。”人生最大の出来事”が起こることで。