社会「どっちの用語ショー」④

こんにちは。講師亀崎です。

 

社会には、似たような用語が多いですよね。

 

このブログでは、社会の間違いやすい2つ(たまに3つ)の単語の違いを紹介していきます。

 

第4回目は、「登呂(とろ)遺跡」と「吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」についてです。

 

中学生に限って言えば、最低限覚えておかなければいけないのが

「登呂遺跡」は静岡県にある「高床式倉庫(高床倉庫)」と「水田遺構」で有名な遺跡

「吉野ヶ里遺跡」は佐賀県にある「環濠集落」で有名な遺跡

これです。

「どっちも弥生時代の集落遺跡なんだから、かたっぽだけ覚えればよくな~い?

よくなくなくなくなくなくな~い?」

という声が聞こえてきそうですね。

それぞれ、弥生時代の日本の特徴をよく教えてくれる遺跡なので、しっかり学んでいきましょう。

 

では、ひとつひとつ紹介します。

登呂遺跡ですが、静岡県静岡市にあります。

昭和18年から発掘が始まり、日本で初めて水田遺構が確認されました。

そのほか、住居や倉庫の遺構が確認され、土器・木製品等多く出土しました。

登呂遺跡でわかる弥生時代の特徴は、ズバリ「弥生時代といえば水田稲作」です。

縄文時代は狩猟採集中心で小規模集団が移動しながら生活していました。

弥生時代では水田稲作中心で大規模な集団は一か所にとどまって生活しました。

つまり、村(ムラ)がつくられたのです。

米を収穫し適切に保管すれば、次の1年間食べ物に困りませんよね。

その保管場所が、高床式倉庫です。

米を適切に保管するための工夫として、次の2点をしっかり押さえておきましょう。

① 倉庫内の湿気をおさえるのに、床を高くした(床下の風通しがよくなる)。

② 倉庫内にネズミが入ってこれないように「ねずみ返し」を設けた。

たまに記述問題で出ますよ。

ちなみに、①の工夫は百葉箱でも見られますね。

なお、詳しくは登呂博物館で学んでください。

静岡市立登呂博物館 (shizuoka-toromuseum.jp)

 

続いて、吉野ヶ里遺跡です。

佐賀県吉野ヶ里町にあります。

大正時代の終わりごろから弥生土器や甕棺の発見はありました。

本格的な発掘調査が行われたのは、平成元年のことです。

このとき、大規模環濠集落が発見されたました。

環濠集落とは、「環濠がある集落」ということです。

濠(溝・堀)が、集落を環している(囲っている)ということですね。

濠を作った理由は、「外敵から集落を守るため」です。

吉野ヶ里遺跡からわかる弥生時代の特徴は「弥生時代から戦が本格化した」です。

吉野ヶ里遺跡の環濠が造られたであろう時期は、中国は前漢~後漢あたりと考えられます。

前漢の歴史書はご存じですか。

知ってたらすごいですが、『漢書地理志』です。

これは、中国の前漢の時代を記録した歴史書です。

その中に、史上初!日本についての記述があります。

「楽浪海中に倭人(わじん)あり。分かれて百余国となす。」

前漢は朝鮮半島に楽浪郡という植民地を設置しました。

その海の向こうに倭人、つまり日本人いる、と。

その日本は、百以上の国に分かれていた、というのです。

そして、後漢の時代を記録した歴史書『後漢書東夷伝』には「倭国大乱」という記述があります。

倭国(日本)は大変な戦乱状態だった、という意味です。

吉野ヶ里遺跡の環濠は、この戦乱の真っただ中であったことを示しています。

少し話はずれますが、この倭国大乱をあるていどおさめた連合王国はご存じですか。

知っているひとは、なかなかツウですね。

そう、「邪馬台国」です。

その後なんやかんやあって(記録がないからよくわからない)、大和朝廷が誕生します。

「大乱からなんやかんやで大和朝廷」は古墳時代ですね。

吉野ヶ里遺跡をもっとよく知りたいかたは、吉野ケ里歴史公園で学んでください。

吉野ヶ里歴史公園 (yoshinogari.jp)

 

最後に、別の言い方で二つの遺跡を区別しますね。

登呂遺跡は縄文時代から弥生時代にかけてどう変化したか

吉野ヶ里遺跡は、古墳時代に日本で国家が形成されるにあたって、弥生時代はどういう時代だったか

を示している、ともいえますよね。

 

けっこういろいろ長々書きましたが、最初にも書いたように

「登呂遺跡」は静岡県にある「高床式倉庫(高床倉庫)」と「水田遺構」で有名な遺跡

「吉野ヶ里遺跡」は佐賀県にある「環濠集落」で有名な遺跡

これだけはしっかり押さえておきましょう。

覚え方は

トトロはそこに住んでいる。(登呂遺跡・高床式倉庫水田

You can go to Yoshino-ya. 訳:吉野家に行っていいですよ(環濠集落・吉野ヶ里遺跡)

・・・だんだん無理やり感が強くなってきた。

 

それはともかく、こんな感じで夏休みの自由研究に「遺跡研究」をしてみてはいかがですか?

 

では、また!

 

 

※余談的注釈

古墳時代は「前方後円墳が盛んに造られた時代」と定義されています。

細かいスタートとゴールは不明です。

邪馬台国は、弥生と古墳のちょうど境目にあります。

奈良県の箸墓古墳は「ワンチャン卑弥呼の墓かもよ?」説があります。

何が言いたいかっていうと、邪馬台国の時代はボカしちゃった、ということです。

それにしても、どこにあったんでしょうね?邪馬台国。