これだけは!歴史年号語呂合わせ 24選 第15回

こんにちは。

講師亀崎です。

今回はコレです。

 

1868年 明治元年

「ひとつやろうや!明治元年」

 

出ました!

270年近く続いた江戸時代が終わり、日本が近代国家となった明治の幕開けです。

「日本の夜明けぜよ」という言葉が頭に浮かびますね。

 

この基本的な流れを抑えていきましょう。

 

 

前回やったペリー率いる黒船来航(1853年)以降、「尊王攘夷運動」が盛んになりました。

天皇中心にして外国人を追い出そう!という運動ですね。

しかし、欧米列強の実力が知れ渡ってくると、攘夷が難しいことが分かるようになりました。

それどころか、日本がどこかの植民地になることもありえる、と。

日本が列強の植民地にならないようにと、「公武合体」や「尊王倒幕」といった動きが生まれました。

「公武合体」は、幕府と朝廷が手を組むというもの。

「尊王倒幕」は、天皇中心にして幕府を倒す、というものです。

 

そんななか、1866年にある二つの藩が手を組みます。

薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)による薩長同盟ですね。

目的は「倒幕」です。

ここで尊王倒幕派は勢いづいたのです。

当時の薩摩と長州は、大きな軍事力を持っていました。

関ケ原の合戦以降徳川家に従った、外様中の外様の二藩です。

薩長同盟は、武力による倒幕を考えていました。

翌年(1867年)には、薩長が岩倉具視(公家)と倒幕の密勅を引き出していました。

とはいえ、それは内戦を意味しており、内戦は国力の低下を招きます。

いいかえれば、列強の植民地になるリスクが高まるのです。

 

ここで、土佐藩を中心に幕府へある提案が出されました。

「政権を朝廷にお返ししましょう」

大政奉還です。

これを受けて、京都の天皇を中心とした朝廷は「王政復古の大号令」を出します。

こうして、徳川は文字どおり幕府に幕を閉じました。

幕府が自ら政権を朝廷に返すことで、武力倒幕は回避されました。

しかし、それでは薩長の気が収まりませんでした。

政治に不慣れな朝廷に政権が渡されても、また徳川を頼るかもしれないからです。

幕府の「大政奉還」作戦には、こういった目論見もあったとか、なかったとか。

とくかく、薩長は将軍徳川慶喜をはじめ、幕臣は新政府に入れたくない。

それには、武力で徹底的に幕府を潰すしかない。

薩長は、最後の将軍徳川慶喜に対し、幕府の領地を全て朝廷に返すよう要求します。

これをきっかけに、1868年1月、幕府軍と薩長中心の新政府軍は戦闘を開始します。

京都で起きたこの戦いを「鳥羽・伏見の戦い」といいます。

戊辰戦争勃発です。

その後、戦地はどんどん北上していき、最後の箱館(函館)戦争が終わったのが1869年でした。

 

で、戊辰戦争中のことです。

1868年3月、「五箇条の御誓文」が公布されました。

時の天皇が、神々(自分の先祖)に対し新しい日本のあり方をお誓い申し上げる、というものです。

また、同年9月に天皇は即位の礼を行い、このとき元号を「慶應」から「明治」に改めました。

ここで、1868年が明治元年となったのです。

また、このとき「これから元号は、天皇1代につき1つにします!」(一世一元の制)と決めました。

そして、明治天皇は3000人を引き連れて京都から東京へ行き、11月には江戸城へと移り住みました。

1000年以上天皇と朝廷が京都にあったことを考えると、かなりのおおごとです。

ちなみに、江戸城が現在の皇居です。

 

このあと、新政府は戊辰戦争を終わらせながら、次々と新しい制度を交付します。

1969年には東京が首都になり版籍奉還(土地と人を天皇のものとする)が実施されました。

1870年には平民も苗字を名乗ることが許されました。

1871年には解放令が公布、廃藩置県が実施され岩倉使節団は欧米へ出発しました。

1872年には学制が公布され、群馬県には官営模範工場である富岡製糸場が作られました。

1873年には暦を欧米に合わせて太陽暦とし、徴兵令を公布、地租改正を実施しました。

また、征韓論が退けられ西郷隆盛や板垣退助らは中央政府を辞めていきました。

1874年には民撰議院設立の建白書が政府に提出されました。

 

ふぅ~~。濃い~ですね。

ともかく、明治元年を機に日本は凄い勢いで変わっていきました。

欧米列強にはやく肩を並べるために(植民地にならないために)、近代化を急いだのですね。

ただ、明治新政府には薩摩・長州・土佐・肥前藩出身者が多すぎ!という欠点もありました。

藩閥政治ですね。これが、自由民権運動大正デモクラシーへつながっていきます。

 

ということで、明治元年で抑えるべきポイントは以下です。

・江戸時代が終わった。

・天皇(と朝廷)が京都から東京に遷った。

・明治新政府は多くの新政策を打ち出した。

 

まさに時代の転換期です。しっかり整理して理解していきましょう!

 

では、また。