これだけは!歴史年号語呂合わせ 24選 第18回
こんにちは。
講師亀崎です。
今回はコレです。
1919年 ヴェルサイユ条約締結
「行く行く!勝ったし。ヴェルサイユ条約」
出ました!
第一次世界大戦の講和条約ですね。
あえて、第一次世界大戦の勃発した年ではなく、終わった年をチョイスしました。
この基本的な流れを押さえましょう。
なぜ大戦開始(1914年)ではないのか。
それは、日清戦争から10年おきに日露戦争、第一次世界大戦と起きていて、覚えやすいから。
だから、カットします。
さてさて、話を第一次世界大戦そのものに戻しましょう。
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都(当時オーストリア領)のサラエボで、大事件が起きました、
オーストリア皇太子夫婦が、セビリア人青年に暗殺されたのです。
これがサラエボ事件です。
ここから、三国同盟と三国協商のからみもあって、ヨーロッパじゅうに戦火が広がりました。
日本はヨーロッパから遠かったのですが、日英同盟があったのでイギリス側につきます。
日本は中国にいたドイツ軍を撃退しました。
このどさくさにまぎれ、1915年に日本は中国に対して「二十一カ条の要求」突きつけます。
中国国内の日本権益拡大のみならず、中華民国政府への干渉も記載されていました。
一方、ヨーロッパで先勝中のロシアでは、国内で大変なことが起こります。
ロシア革命です。
1917年の2月にロマノフ朝が倒され、臨時政府ができました。
国民は戦争が終わるかと思ったら、臨時政府は戦争を続けます。
とはいえ、国の混乱が反映しているのか、戦果を挙げることができません。
そんなおり、ヨーロッパの戦争にたいし不干渉だったアメリカが参戦します。
その後、1917年11月にロシアでソビエト政権が樹立。
世界初の社会主義革命の成功でした。
こうして、1918年にロシア・ソビエト社会主義共和国連邦が成立します。
これに危機感を覚えた欧米列強は、チェコ軍救出を名目にシベリア出兵を決定。
日本もまきこまれ、なんだかんだで7万人以上を日本は派兵します。
このとき、日本国内では深刻な状況が起きていました。
シベリア出兵で大量の米が軍用に必要になると見越した米業者が買い占めをします。
結果的に、米の価格は4倍ほどに膨れました。
もちろん、庶民は黙っていません。
富山県から始まった米騒動は、全国へと広がりました。
米騒動は暴動の一種で、鎮圧は成功したものの当時の内閣は倒れます。
こうして次の内閣総理大臣になったのが、原敬です。
日本初の政党内閣は、シベリア出兵と米騒動で誕生したのです。
なお、1922年にはロシアを含む4か国でソビエト社会主義共和国連邦が成立しました。
いわゆる「ソ連」です。
話はもどりますが、1917年のアメリカ参戦が決定打となり、三国協商側の勝利がほぼ確定しました。
1918年にはドイツ国内でもドイツ革命がおこり、皇帝ヴィルヘルム2生はオランダへ逃亡しました。
同年11月には、停戦協定が結ばれ、ここで第一次世界大戦が終結しました。
その後パリ講和会議が行われ、1919年にヴェルサイユ条約が交わされました。
また、当時のハンガリー帝国やロシア帝国の支配下にあった国が次々と独立しました。
こうして「民族自決」(それぞれの民族が自分の運命を決めるべき)という思想が生まれます。
これに反応した朝鮮半島では、1919年3月1日に独立運動が起きました。
三・一独立運動ですね。※朝鮮半島は当時日本の植民地。
続いて中華民国でも、同年の5月4日に五・四運動が起きました。
いずれも日本に対する反発です。
国際的には、第一次世界大戦の終結後の大きな出来事として、国際連盟成立が挙げられます。
パリ講和会議中にアメリカ大統領ウィルソンにより提案がなされた国際連盟。
1920年に、スイスのジュネーヴを本部として国際的な平和維持を目指し発足しました。
非常に素晴らしい組織だと思われがちですが、問題点があります。
言い出しっぺのアメリカは、国際連盟に加盟しませんでした。
それ以外にも、途中から加盟するのですが、発足当初はソ連も加盟しませんでした。
こういったことからも、国際連盟の力はそれほど強くなかったといわれています。
ただ、国際的な平和維持に関しては、1922年にワシントン海軍軍縮会議が行われました。
これは、その時点から10年間の軍備拡張を控えようとするものです。
軍拡をすれば戦争が起きやすくなる、という論理ですね。
注目すべきは、国際連盟にしろワシントン軍縮会議にしろ、日本の立場が高いことです。
国際連盟では日本はトップ4である常任理事国になりました。
軍縮会議では、アメリカ・イギリスの次に海軍力を保有してよくなりました。
実質、世界的に3番手の位置に上り詰めたことになります。
しかし、日本国内は深刻な不景気にあえいでいました。
第一次世界大戦中は、戦争をする国に物が売れるので景気が絶好調でした。
大戦景気です。
戦争が終わるとヨーロッパでも各種製品の製造が復活し、日本の景気が絶不調になります。
戦後恐慌です。
この不景気の真っただ中で、さらに追い打ちをかける悲劇が日本を襲います。
それが、1923年9月1日11時58分に発生した関東大震災です。
日本の首都を襲った大地震による死者行方不明者は10万5千人ともいわれています。
ちょうど昼食の支度中だったことで大火災が発生。
9万人以上が火災で亡くなったそうです。
これが不景気に拍車をかけました。
このあと、日本は不景気から脱却できないまま1929年に世界恐慌を迎えるのです。
このように、第一次世界大戦は主戦場の欧州だけでなく日本にも大きな影響を与えました。
1914年、サラエボ事件から第一次世界大戦勃発
1915年、日本が中国に二十一箇条の要求
1917年、ロシア革命でロシア帝国崩壊、世界初の社会主義国家の誕生。
1918年、シベリア出兵、米騒動、日本初の政党内閣である原内閣組閣。
1919年、第一次世界大戦終結、三・一独立運動、五・四運動
1920年、国際連盟発足
1922年、ワシントン海軍軍縮会議
1923年、関東大震災
1929年、世界恐慌
いや~、ゴッチャゴチャになりやすいところですね。
しっかり流れを押さえて、整理しながら覚えていきましょう。
では、また。