偉人の妄想インタビュー⑧ ~藤原純友~ その3

こんにちは。

全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。

広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。

 

 

藤原純友の最終回です。

純友の立場を激変させた、都への知らせとは?

それをきっかけに、瀬戸内から九州をまきこんで内乱が拡大していきます。

豊後水道に吹く白南風が、しずかに純友の最期を見届けました。

 

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インタビュアーを「I」、藤原純友を「純」とする。

 

I:都に届いた知らせとは?

純:『平将門討ち死に』や。

I:朝廷としてはホッとしたでしょうね。

純:ほっとするだけやったら、かめへんけどな。

  ときの太政大臣・藤原忠平。あいつがやな、こっちに鎮圧の軍を差し向けたんや。

  「だれが褒美なんかやるかえ、アホ!」てなモンや。

  「同じ北家やん、カンベンしてぇな」いうても通用せぇへん。

  そのうえで、「文元連れて来るか朝敵になるか、どっちか選ばんかい」やて。

  友達売って自分だけ助かるわけにはいかへん。

  それにな、ワシも海賊相手にしとるからな、売られた喧嘩は買わなしゃあないがな。

  先手必勝や!いうて、讃岐(香川県)の国府を落としたんや。

  そしたら追捕使(ついぶし)が来よった。

  小野好古(よしふる)いうたかな。

  あいつら、けっこう強かってん。

  あと、源経基いうたかな。あいつもや。

  平将門に関東で痛い目おうて、将門追討の征東軍の副将になってんけど、空振ったやろ。

  征東軍が関東に入る直前に、将門死んだやん。

  そのうっぷんをワシで晴らそうとしたんやろな。

  目ぇバッキバキやで。

I:小野好古といえば、小野篁(たかむら)の孫ですね。

純:歌でも詠んどけ!っちゅうねん。なあ。

  そいつがなかなかの戦術家やってんな。

  讃岐からはいったん退却せざるをえん状況に追い詰められてもうた。

  そのあと備前・備後(広島県)・長門(山口県)・周防(山口県)を襲ったんや。

  でも、そのつど追捕使が来んねん。

  いったん、ワシらの根城があった日振島(ひぶりじま・愛媛県)に戻ってんけどな。

  「ここなら大丈夫やろ~」思てたら、なんと追捕使が来よったんや。

  日振島いうたら豊後水道やで。瀬戸内海の水域の外や。

  どうやら、ワシの部下が裏切ったらしくてな。かなんで、ホンマ。

  とりあえず退却して、そのまま九州や。九州いうたら大宰府や。

I:戦の場は瀬戸内海だけじゃなかったんですね。

純:追いやられた感はいなめへんけどな~。

  そこに、しつこく追捕使が来んねん。

  まあ、大宰府は朝廷も捨てられへんやろ。

  ここが勝負じゃ!いうてな。

  ほら、ワシらとしては海戦の方が得意やろ。

  それに、大宰府には小野好古が率いる軍が来たしな。

  うっとうしいから、大宰府焼いたってん。

  そっから博多湾に行って、海から来た追捕使を迎え撃ったんや。

  ワシらもけっこう粘ったんやけどな。

  あいての大将の・・・大蔵春実(おおくらのはるざね)か。

  ナメとったらあかんな。

  あいつ、ちゃっかり戦上手いねん。

  気ぃついたら、劣勢や。

  終いにゃ、ボロ負けしとったわ。

I:それから、逃げられたんですか?

純:ちっさい舟漕いで、息子の重太丸(しげたまろ)といっしょにな、何とか日振島に戻ったんや。

  そこでな。

  橘遠保(たちばなのとおやす)いうヤツにやられたんや。

  息子もいっしょにな。

  見事な太刀筋やったで。

  ワシら、一太刀も浴びせられへんかった。

I:橘遠保といえば、子孫に楠木正成がいるとか。

純:そうなんや。

I:そういえば、純友さんを討ち取った数年後に、遠保は何者かに殺されたらしいんですよね。

純:だれやろうなあ。ワシの手下にも義理固いやつがぎょうさんおったからな。

  ただな、藤原北家の他氏排斥や延喜・天暦の治や~いうて、そっちばっかり目立つやん。

  その影でな、海賊にならざるをえんかったヤツもおんねんな。

I:貴族中心の律令政治が限界に来ていることを示唆したのかもしれませんね。

純:ワシらのしたことをどう評価するかは、後世の人間の仕事やろ。

  好きに言うたらええわ。

I:どうでも「いイヨ(伊予)」、と。

純:なんやそれ!

  ゾク(賊)っとしたわ!

I&純:どーも、ありがとうございました~。

 

 

 

これで、藤原純友編はおしまいです。

ありがとうございました。